投稿

ラベル(UZBEKISTAN)が付いた投稿を表示しています

170813 ベイネウ Бейнеу554km

イメージ
 国境までの最後の日陰で給油し、いよいよ国境越えです。ウズベキスタンでは、入国する時念入りに荷物点検されたので、出国も準備して臨みます。国境が混んでいることを期待して走っていると、対向車には荷物満載の自家用車が。荷物検査はすんなり終わることを期待。案の定、国境はかなりの行列ができていました。ウズベキスタンは15分ほどで終了。あんなに準備したのに…。カザフスタン側の国境では、私達、旅行者はいきなり一番前に通してもらえるVIP待遇でした。 どこかに両替できる所はないかと聞いたら税関員さんに両替までしてもらいました。しかもかなりいいレートで!手続きをしている間、カザフスタン人に話しかけられました。おじさまから出た言葉は「Shukudai」。どこで知ったのでしょうか。謎です。

170812 ヌクス Nokis 214km

イメージ
 砂漠地帯では道路で駱駝に遭遇します。今も昔も変わらないシルクロードあるある。国境までの最後の大きな町、ヌクスへやってきました。町の周りは360度砂漠なのに、町へ入るといきなり都会。道も建物も新しく作られた感じの町でした。昔、砂漠を越えて旅してきた人にとって、「オアシス」は夢の国に感じたんだろうなあ。  ここから西に進みます。道は一本道。カザフスタンとの国境を越え、最初のガソリンが売っているガソリンスタンドまで500km。合計15ℓの予備ガソリンで準備万端!

170811 ヒヴァ 0km

イメージ
 ヒヴァからカザフスタン国境を越える道は、無給油区間が500kmもあることが判明しました。これは14ℓタンクのXRにとって事件です。満タンにしても走れるのは350kmほど。。。加えて250kmのオフロードがあるとか。。。最後の少し大きな町でガソリンを入手しようと考えてます。ヨーロッパに入るまで完全な舗装路には巡り会えないようです。すれ違ったライダーさんも同じ道を通ってきたので、私たちも頑張るしかありません。  ウズベキスタンで最後の観光地になるであろうヒヴァを観光しました。昨日の夜は珍しく砂嵐と雨。そのせいか、早朝からイチャン・カラ内で清掃に励む女性たち。ウズベキスタンでは女性が道路掃除をしているの姿をよく見かけます。車や自転車に乗るのは男性だけ。国によって様々ですね。 今では観光地となっているヒヴァですが、かつては中央アジア最大の奴隷市場があったそう。。。その市場は今はバザールになっています。  と、考えさせられることもありますが、最後に気分転換。ドゥシャンベからここに来るまで、「Mongol rally」というステッカーを貼って旅する車をよく見かけました。ここの宿でも5台のMongol rally車。気になって聞いてみると、イギリスを出発し、旅をしながらモンゴルのウランバートルに集合するイベントがあるそう。動画を見るとクレイジーさに笑ってしまいました。 私達も私達なりに旅をしていきます。いやあ、 生きてるってすばらしい!!

170810 ヒヴァ Xiva 476km

イメージ
 炎天下の中、左右を砂漠に挟まれた滑走路のような道が延々と走り続け、ヒヴァに到着しました。出発前に地図で確認したところ途中に大きな町がないのでガソリンが手に入らなそうだったので10ℓの予備ガソリンを積んで走りました。途中建物も木もなく日陰が見つからなかったのでバイクも人も休めず、若干熱中症になりながら走行。シルクロードはなかなかハードです。ラクダで旅していた頃はさぞかし過酷だったのでしょう…。  ヒヴァは城壁で囲まれたイチャン・カラが世界遺産で、夕暮れ時はタイムスリップした気分になります。宿には日本人旅行者がたくさんいました。昨日、一昨日も日本人に出会いました。最近日本で流行っているのでしょうか。。。

170809 ブハラ Buxoro 288km

イメージ
 ブハラへ向けて、サマルカンドを早朝出発。途中、木陰で休んでいると、近くの住民がわざわざ椅子を持ってきてくれました。以前にも同じことがありました。イスラム圏の方は親切だと改めて感じます。  ブハラは、サマルカンドより落ち着いた雰囲気の印象です。ブハラのシンボル、カラーンミナレットの塔は、模様が刻まれたレンガ造りを間近で見ることができます。大地震でも崩壊せず、チンギスハーンにも破壊させなかったという逸話が残っているほど。中央アジアを走っていると、チンギスハーンはどこまでも攻めてきたことを実感します。バイクにはモンゴルのステッカーを貼っていますが、まだ誰にも責められていません 笑 旧市街は世界遺産に登録されており、古い煉瓦造りの入り組んだ町並みを見ることができます。ホテルに向かう途中、いつの間にかその世界遺産に迷い込んでいました。歩くには雰囲気のある路地ですが、バイクではちょっと…。ミル・アラブ・メドレセはソ連時代にも開校を認められていた神学校。青のドームやモザイクタイルの装飾には思わずカメラを向けてしまいましたが、建設資金を作るのにペルシャ人奴隷の売買が行われたことを知ると、罪悪感を感じてしまいます。  明日は450km先にあるヒヴァを目指します。早朝5時には出発したいですが、大丈夫かな。。。

170808 サマルカンド Samarqand 295km

イメージ
記録更新の40℃越えを何とか凌ぎ、砂漠地帯を抜けてサマルカンドへやってきました。この旅始まって以来の観光地を観光します。地球の歩き方は随分とサマルカンド推しだったので結構期待していました。が、綺麗に整備された観光地ではあまりイスラムの雰囲気は感じられず…。街中を歩いていてもコーランが聞こえてきません。最後に聞いたのはキルギスのオシュでした。  ウズベキスタンではガソリンスタンドでガソリンを売っておらず、地元民に頼んで売ってもらうしかありません。車はメタンガスで走るように政策が変わったそうです。ガソリンを見つける目印は、道端に不自然に置かれたペットボトル。堂々とガソリンを売っている場所もありますが、大きな町が近くなるとあまり見かけなくなってしまいます。1ℓ4000ソムで50セントほどの値段です。両替は、銀行よりも市場や地元民にしてもらう方が、倍のレートで返ってきます。みなさん自国の通貨を信用していないようです。市場の両替相場は1USDが8000ソム。最初は6000や7000で声をかけられますが、8000以下では両替しないことに決めています。今日はたまたま通りかかった、いい車に乗った地元民に両替してもらいました。

170807 バイスンBoysun 209km

イメージ
 ウズベキスタンのビザをようやく入手し、やっと走れるようになりました。結局ドゥシャンベには9日滞在しました。久しぶりにバイクを走らせると、ドゥシャンベで整備した成果、アクセルの軽さに驚きます。もうタイヤも積んでいないので車体もずいぶん軽くなりました。  ウズベキスタンのビザをもらうのに9時前から大使館前でスタンバイ。開館時間は9時ですが、もちろん時間通りに開くことはありません。門がひらくと同時に、群衆が我先にとパスポートを係官に渡そうとするので、私も負けじと進み、何とかパスポート提出。順番通りにきちんと並ぶというすばらしい考えは捨てなければなりません。次は門からパスポートを持った係官が出てくるので、名前を呼ばれるまで待ち続けます。ひたすら待つこと1時間。無事にビザを入手。そのまま国境へと向かいます。タジキスタン国境はすぐに済みましたが、問題はウズベキスタン国境。これまで出会ったライダー情報によると、写真や持ち物検査が厳しいらしいので、こちらも構えて臨みました。もちろん愛想をふりまくことも忘れずに。結果、3時間かかって国境を通過。なぜそこまで点検が厳しいか、実際に通過してみてわかりました。国境警備隊は間違いなくみなさん暇です。1人の荷物検査に3人がかり。物珍しそうに触りまくり、そこら中に散らかします。常備薬も全て点検。この薬は何だ?これは?これは?と聞くので全てに返答。洗濯石鹸も舐めて点検。しまいには温泉の素まで舐めてました。写真が入っている電子機器は担当の気分によって、すべて確認します。※女性に対してはそこまで厳しくありません。出国時、女性係官がいないことを願います。挙げ句の果てには人のバイクに勝手にまたがり遊びだす始末。三頭いたシェパードも、みんなで仲良く遊んでいました。ま、こういう国境もありますよね。そんなこんなで無事にウズベキスタン入国。これだけ「役人」が「……」だと、民間人の人の良さに期待がもてます。役人と民間人の人の良さは相反するのです。  サマルカンドまで1日では到着できないので宿がある村に着くと、村の一大イベントのごとく人が集まってきました。みなさんバイクに興味津々。ただし、カメラを向けると蜂の子を散らしたように逃げていきます。国境では「ハチ公」、村では「おしん」が大人気でした。