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180408 Tulcan 223km

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 最高標高3200M、ワインディングの道を進み、エクアドルからコロンビアへ抜けようと国境の町トゥルカンへ。国境に着くと、イミグレーション建物周辺には大荷物を持った人が長蛇の列を作っていました。ベネズエラからの難民の方々です。やはり聞いていた通り。国境を越えるのにエクアドルだけで5時間はかかるとのこと。待っていると日が暮れてしまうので、地元の人に勧められた西へ20km走ったところにある小さな国境へ向かうことにしました。ここはペルミソ(バイクに必要な税関書類)も作ってもらえるそうです。雨が降りだす中到着した国境。着いた先はコロンビア国境。どこが国境かよくわからないまま、エクアドル国境を通過してしまっていました。係の人にエクアドル国境の場所を教えてもらい戻ろうとしましたが、思いとどまって念のために確認します。 私達「バイクで来たのですが、ここでペルミソは作れますか。」 お姉さん「作れません。トゥルカン国境へ戻ってください。」 !!! さっきまでいた国境でなければペルミソは作れないとのこと。長蛇の列に並ばなければならないようです。寄り道50km。さっきの国境に戻ります。イミグレの入り口にいる警察官に、「先に通してもらえませんか。日本からバイクで走ってきたんですけど…。」とスーパーカタコトでお願いしてみました。が、「一番後ろに並べ。」とのお返事。周りを見ると、疲れ切った表情の老人や、授乳中のお母さんの姿がありました。彼らは仕方なしに国を出、身の回り品を抱えてここまで来たのです。日本からバイクで走ってきたごときの理由で、先に通してもらおうという浅はかな考えがはずかしくなりました。  国境は、午前3時が一番人が少ないそうです。明日は早起きして国境へ向かいます。

180406ー0407 Otavalo130km

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 キトを出発して赤道記念碑へ。ここはちょっとしたテーマパークになっており、プラネタリウムとセットになった入場料は一人5ドル。なかなか強気です。本来の赤道が通る場所とはずれているそうですが、平日でも観光客や遠足に来ていた小学生の団体でにぎわっていました。記念碑を後にし、GPSを確認しながら幹線道路を進んでいるといつのまにか赤道を越えていました。ここから北半球の始まりです。まずは難関であるコロンビアへの国境越えです。今、ベネズエラからの難民で国境は溢れかえっているそうです。ペルーのリマでも、ベネズエラから逃げて来たというウェイトレスさんがいました。国境越えは毎回心配になりますが、今回は特に大変そうです。  途中休憩したガソリンスタンドで、お高いであろうバイク(KTM)に乗ったエクアドル在住の殿方と出会いました。早速コロンビア国境のことを聞いてみると、国境すぐの町に住むお友達を紹介していただきました。エクアドルの人はやっぱり優しいです。  南米最大級と言われる土曜市が立つオタバロ。オタバロ族の人たちは、男性は長い髪を三つ編みにし、女性は刺繍でデザインされたブラウスを着ています。装飾品も身につけ、見ているだけでも楽しくなります。  土曜日に早起きし、早朝開催される動物市場へ。鶏、豚、羊、牛、馬が売り買いされています。飼い主と一緒にいる頃は静かな彼らも、見知らぬ人間に綱を引かれると突然鳴き出します。自分がどうなるかわかっているのでしょう。すっかり食欲がなくなってしまった情けない私。ふと見ると、動物の番をする子供の姿が。彼らは私よりも命の重さや大事さがわかっている気がします。  動物市場を後にし、雑貨市場へ。刺繍、革、毛織物、民族楽器や装飾品。様々な雑貨が所狭しと並べられています。これまで見た雑貨の中で、質がよく値段が安い印象です。その昔、スペイン人が入植した時でも、オタバロ族の刺繍の技術の高さによって、この民族は守られたという説もあるとか。いろいろと考えさせられたオタバロでした。

180404ー0405 Quito

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町の風景。坂道が多いキト。南米では上に行くほど治安が悪くなります。  人がいい、物価の安いエクアドル。昔に比べれば物価が高くなったようですが、それでも安いと感じます。首都で長居するのは初めて。お天気もいまいちなので連泊が続きました。  キトから北へ30キロ、2本のバスを乗り継いでキト動物園に行ってきました。1時間半ほどの移動で使った金額は一人75セント。バイクで走るより安いかもしれません。この動物園にはガラパゴスゾウガメや南米でもごく一部にしかいない猿や熊など、貴重な動物がいます。ガラパゴス島には諸事情により行けないので、こちらの動物園にやってきました。平日の昼間、ほとんど貸切状態で園内をぐるっと一周。遠足に来ている小学1年生くらいの団体さんとも出会いました。日本同様、南米でも動物園遠足があるようです。 触ろうと思えば触れる距離にいるオウムやフクロウ達。日本では見られないだろう光景でした。  キト中心部に来るまでの道ではこれまでの運転マナーとは異なり、バスがスピードを出して走るようになりました。交差点ではクラクションが鳴ることも。途中から高速道路となり、バイク一台20セント、料金所は合計3回ありました。明日からの道でもまた高速道路になるようです。3日ぶりに乗るバイク。気を引き締めなければ…。

180402ー0403 Quito 189km

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バシリカ教会 よく見るとワニらしきものがたくさん 独立広場 中央奥に見えるのがパネシージョの丘。 強盗が出ることで有名なので行きませんでした。 ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。 内部装飾が美しいそうですが、入場料がかかるので入っていません。ごめんなさい。 南米最古のサンフランシスコ聖堂・修道院 靴のお手入れをしてもらいました。  エクアドルの首都キトにやってきました。旧市街は1978年に世界遺産に登録された12件のうちの一つ。16世紀から17世紀にかけて造られた教会などの建造物の保存状態がよいことがその理由です。入場料がかかるので内部には入っていませんが、外観だけでもお金をかけて造られたことを感じます。その昔、ここはキリスト教を布教するための南米の拠点だった場所。お金をかけて教会を建てるわけです。急勾配の坂道でも、つい建物の美しさに気をとられてしまいますが、ここは標高標高2850M。すぐに息が切れてしまいます。建物を造った人達も大変だったことでしょう。

180330ー0401 Banos de Agua Santa 189km

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 Banos(バーニョス)、スペイン語でお風呂やトイレを意味します。私たちがここBanosにきた理由、それは温泉に入るため。これまで暑い、寒いを繰り返し、体に負担がかかっていたようです。首、肩、腰がコリコリに。温泉に治してもらうしかありません。この温泉は地元民にも人気なようで、イースター休暇も重なり家族連れもたくさん来ています。40度ほどの お湯でふやかされること30分。生き返りました。  温泉の後、食事に行こうと街を散策していると、エクアドルのライダーチームと遭遇。中にはインドネシアやフィリピンまで行ったことのある人も。みなさんいいバイクに乗っています。18年前のエクアドルでは、両替するために道路端でスークレの札束を振る人がたくさんいたのに。今はアメリカのドルを使い、人の生活も変わったのでしょうか。  温泉に入ると逆に疲れるのはなぜでしょう。体が緊張せずにすむからでしょうか。お天気もいいので連泊して洗濯することに。ここ数日雨が続いて洗った服も全く乾かず、なかなかの匂いを発していた服たち。風に吹かれて気持ち良さそうです。

180329 San Pedro de Alausi 203km

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太陽の神殿 太陽の神殿2 復元された家 カニャーリが使用していた占星術に使う石。月カレンダーという説も。 インカの石組み コロンビアライダーと 想像図。まさしく壁。 織物と使用された銅製の針  ペルーで遺跡をほとんど見なかった私たち。エクアドルにも遺跡があるので行ってみることにしました。インガピルカ遺跡。インガピルカ(Ingapirca)とは「インカの壁」を意味します。(インカの公用語、ケチュア語でピルカは壁という意味)ここは紀元前1000年頃のカニャーリ族と、15世紀のインカ、二つの異なる時代の遺跡が一つになった場所です。楕円形の遺跡がカニャーリ、その上にインカの遺跡が建てられています。カニャーリは太陰暦、インカは太陽暦を採用。遺跡の中には、太陽の神殿、大広場、食料庫、復元された家などがあります。博物館には土器や織物など遺跡から出土したものが展示されています。 ここはインカ帝国の北の要所として造られた都市。インカの交通網が5000kmに及んだことの証明にもなるそうです。  ここはエクアドルに残る、保存状態の良い数少ないインカの遺跡。貴重な観光資源なのでしょう。博物館や遺跡の入り口も綺麗に観光地化されていました。入場料は外国人1人6ドル。私たちはなぜか地元価格の2ドルで済みました。この入場料の行く先を巡って、2001年3月には先住民による遺跡占拠という事件があったそうです。白人やメスティソが利益を独占しようとするからだという理由で。(本当はもっと入り組んだ事情があったようです。興味のある方は一番下のリンクへどうぞ。)日本のお城もそうですが、どの国の遺跡も多くは「勝者」の遺跡。戦いに負けてしまったら何も残してもらえないのでしょうか。今の自分たちの生活も、元を辿れば誰かの犠牲の上に成り立っているのかもしれません。  昨日泊まったクエンカではスペイン風の街並みが綺麗に残されていました。それが世界遺産にもなっています。入植者が残したものが観光資源となり、生計を立てることができる先住民もいるのでしょう。  いろいろ考えさせられた1日でした。 【遺跡観光と先住民蜂起 南米エクアドルのインカ遺跡】国立民族博物館の関 雄二氏...