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170910ー11 ヤイツェ Jajce 174km

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修復されたスタリ・モスト ネレトヴァの戦いで少数部隊を守るため破壊された橋  モスタルでも民宿に泊まりました。ゲストハウスA&O 名前の意味を聞いたら子供2人の頭文字だそうです。安易です。快適なお家でのんびりしすぎて出発が遅れてしまいました。ヨーロッパに入ってからは出発が遅くなってしまっております。隣の町まで何百キロとかいう世界ではなくなったのでいつ出発しても問題ないからです。少し走ればホテルでもキャンプ場でもあるので寝る所も食べる所もいくらでもあるのでついついのんびりしてしまいます。  モスタルから川沿いの道を北上し山道をクロアチア方面に走ります。途中スキー場があるような山の中の道を走ってきました。キャベツ畑がありました。高原野菜です。日本みたい。。。なんて思いながらJajceという町まで走ってきました。この町は見る角度によって滝の上に町があるように見えます。確かに川に沿って人が生きている感じがしました。夕飯に食べたキャベツの美味しいこと美味しいこと。産地直送ですね、、たぶん。  雨の予報が続くのでもう一泊することにしました。

170909 モスタル Mostar 198km

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 サラエボのメインストリートZmaja od Bosne。かつては道行く市民も標的にされた「スナイパーストリート」。真新しいショッピングモールや高層ビルが並びます。ジャーナリストにむけて前線中も営業したというHotel Holiday 、砲弾が撃ち込まれ炎上したボスニアヘルツェゴビナ共和国議会。ネットでよく見る写真の風景。今では復興が進んでいます。が、住宅街に目をやれば、壁には砲弾の跡、跡、跡。銃撃戦の跡が残る家に住むのはどんな心境なのでしょうか。。。  ボスニアに入り、ドイツ企業のドラッグストア「dm」やホームセンター「OBI」を見かけるようになりました。ここまで進出しているのは、雇用を供給するためなのか?なんてことも考えてみたり。。。  サラエボから南下し、スナイパータワー、スタリ・モストがあるモスタルへ。サラエボより、廃墟となった建物がそのまま残されています。民族や宗教を象徴する価値ある「もの」は、戦いに巻き込まれれば破壊の対象となってしまいます。スタリ・モストもその一つ。山の上には巨大な十字架が掲げられ、土産物屋はイスラム一色でした。  サラエボの民宿で、雨の中温かく迎えてくれたおじいちゃん。大きな柔らかい手でしっかり握手してくれました。歓迎されているのが伝わります。足が悪いらしく、歩くのもやっとの様子。手を震わせながらコーヒーを淹れてくれました。昔は兵士として戦っていたのかもしれません。出発の朝は、私たちが見えなくなるまで見送ってくれました。

170908 サラエボ Sarajevo 272km

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  岩山を望みながらワインディングが楽しめるボスニア・ヘルツェゴビナ。国境ではオーストリアからのライダーさん達、道中ではドイツからのツアーライダーさんを二組見かけました。国立公園を抜けるM20は観光地化されすぎておらず、気持ちのよい道が続きます。  サラエボに入る手前で雨に降られ、濡れ鼠のまま街へ突入。家々には今でも銃痕、弾痕が残ります。綺麗に塗り直しているところもありますが、埋め直している箇所の数や大きさが、戦いの壮絶さを物語っています。独立して20年ほどしか経っていないボスニア・ヘルツェゴビナ。道中、ロシアの国旗かと思った旗は、スルプスカ共和国の国旗でした。街中では、モスクと教会が隣り合わせで建っています。